教養・雑学
ラジオ体操はいつ始まった?──「国民保健体操」と保険会社の意外な縁
夏休みの朝、まだ涼しい校庭や公園に、あのピアノの音と「腕を前から上に……」の号令が響く。首からさげたスタンプカード。ラジオ体操は、日本の夏の原風景のひとつです。
でも、いつ、誰が、何のために始めたのか。たどってみると、天皇の即位記念やアメリカの保険会社まで出てくる、少し意外な物語がありました。
この記事でわかること
01始まりは1928年、「国民保健体操」という名前だった
ラジオ体操が生まれたのは1928年(昭和3年)。当時の逓信省(ていしんしょう)という役所の簡易保険局が、「国民保健体操」という名前で制定しました。
この年は、昭和天皇の御即位の大礼(即位の儀式)が行われた年。ラジオ体操は、それを記念する国民的な事業のひとつとして始まりました。同年11月1日、東京中央放送局――今のNHKの前身――の電波にのって放送が始まり、翌1929年には全国へ広がっていきます。
「ラジオ体操」という呼び名は通称で、正式には健康づくりのための「国民保健体操」。スタートから、国民みんなの体をつくる、という目的がはっきりしていました。
02手本になったのは、アメリカの保険会社
発想のもとになったのは、海の向こうのアイデアでした。1925年、アメリカのメトロポリタン生命保険会社が、ラジオ放送に合わせて体操をする健康増進の取り組みを行っていたのです。
これを知った簡易保険局の担当者が、日本にも取り入れられないかと持ち帰り、体操の内容づくりが始まりました。ラジオという当時の最新メディアと、健康づくりを結びつける――その着想は、いわば輸入もののアイデアだったわけです。
音楽に合わせ、誰でも同じ動きを、同じ時間にできる。放送と相性のいいこの仕組みは、日本でまたたく間に広まっていきました。
03なぜ「保険局」が体操を広めたのか
ここで不思議なのは、なぜ「保険局」が体操なのか、という点です。
カギは、簡易保険という仕組みにあります。簡易保険は、多くの人が少しずつお金を出し合い、病気や万一のときに備える制度。加入者が健康で長生きするほど、制度そのものも健全に回ります。つまり国民の健康は、保険事業にとっても大事な土台だったのです。
「国民の健康を保つことが、社会全体の幸福につながる」。ラジオ体操は、そんな考えのもとで進められた事業でした。お金と健康は、こんなところでつながっていたのです。
04戦後にいちど消えた──今の第一は1951年生まれ
順調に広まったラジオ体操ですが、戦後、一度その姿を消しています。号令に合わせていっせいに体を動かすやり方が軍国主義的だと問題視され、1946年(昭和21年)には号令をなくした二代目に作り替えられました。ところがこれが難しく、親しみにくいと不評で、翌1947年には放送が途絶えてしまいます。
数年の空白のあと、内容をあらためて作り直し、1951年(昭和26年)5月に生まれたのが、今わたしたちが親しんでいる「ラジオ体操第一」です。翌1952年には「第二」も加わりました。
つまり、今の第一は“三代目”。年配の人が体で覚えている戦前の体操と、今の体操は、実は別のものなのです。
05夏の朝の定番になるまで──巡回ラジオ体操
夏休みの朝、というイメージが定着したのは戦後のことです。1953年(昭和28年)7月から、各地をめぐる「夏期巡回ラジオ体操会」が始まり、全国へ広がっていきました。
早起きして集まり、体操をして、カードにスタンプを一つ押してもらう。あの皆勤をめざす夏の習慣は、こうしてかたちづくられていきました。ラジオ体操は、健康づくりの器であると同時に、地域や世代をつなぐ場でもあったのです。
今年の夏、どこかで聞こえてくるあのメロディーは、90年以上前の即位記念と、海を渡ったアイデアから始まった――そう思うと、いつもの体操が少し違って見えてくるかもしれません。
本記事はラジオ体操の歴史に関する一般的な解説を目的としたものです。記載内容はかんぽ生命保険や全国ラジオ体操連盟などの公開情報をもとにした整理で、年代や経緯には諸説がある場合があります。
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