教養・雑学
夏休みの宿題はいつから?──宿題帳の明治、自由研究の戦後
7月の終わり、子どもに山ほど渡される宿題のプリント。ドリル、絵日記、読書感想文、自由研究。毎年の光景ですが、「そもそも夏休みの宿題っていつからあるの?」と聞かれると、意外と答えに詰まります。
たどっていくと、夏休みそのものの成り立ちや、戦後の学校改革にまで話がつながっていきます。ちょっと意外な、宿題の来た道をたどってみます。
この記事でわかること
01そもそも夏休みは、いつできた?
宿題の前に、まず夏休みから。日本の学校に夏の長い休みができたのは、明治のはじめごろとされています。国立国会図書館のレファレンスによると、夏季の休業は明治7年(1874年)ごろ、外国人教師が教える中学校や外国語学校の慣習として始まり、やがて小学校にも広がっていきました。
最初はごく短いものでした。「大暑につき5日間」といった記録も残っていて、今のような長い休みではありません。その後だんだん延びていき、明治14〜19年ごろには8月1日から21日までの約3週間に。今のような40日前後の夏休みが定着したのは、昭和12年(1937年)ごろからといわれます。
理由はシンプルで、暑さです。冷房のない校舎で真夏に授業をするのは難しい。だから一年でいちばん暑い時期を、まるごと休みにした。夏休みは「遊ぶための休み」というより、もともとは暑さをよける知恵から生まれた区切りでした。
02明治の子どもにも宿題はあった──「夏休帖」
では宿題は。休みがあるなら、その間の勉強をどうするか、という問いは昔からありました。明治期の小学校には、すでに「夏休帖(なつやすみちょう)」と呼ばれる、休暇中の課業帳のようなものがあったことが研究で知られています。
中身は今とそう変わりません。読み書きや計算の練習、絵日記のようなもの。長い休みで学んだことを忘れないように、という発想は、100年以上前からあったわけです。
ドリルや日記といった「定番の宿題」は、この明治から昭和にかけての流れのなかで根づいていきました。ただ、今の夏休みを象徴するあの宿題は、もう少しあとに登場します。
03「自由研究」は戦後生まれの“教科”だった
自由研究です。実はこれ、もともとは夏休みの宿題ではなく、れっきとした“教科”でした。
戦後まもない1947年(昭和22年)、新しい学校制度に合わせてつくられた最初の学習指導要領で、「自由研究」は国語や算数と並ぶ教科のひとつとして定められました。小学4〜6年生に、週に数時間が割り当てられていたのです。
ねらいは、子どもが自分で関心のあるテーマを選び、自分のペースで調べたり作ったりすること。大人から与えられた課題をこなすのではなく、「何をやるか」から自分で決める。それまでの勉強とは、発想が逆でした。
04教科は消えても、宿題として名前が残った
ただ、教科としての自由研究は長くは続きませんでした。昭和26年(1951年)ごろの改訂で、独立した教科としては姿を消します。
けれど「自由研究」という名前と、その考え方は生き残りました。行き先が、夏休みです。自分でテーマを決めて、時間のある長期休暇にじっくり取り組む――その相性のよさから、教科ではなく夏の課題として各学校に受け継がれていきました。
今の子どもたちが毎年頭を悩ませる自由研究は、70年以上前の教科の名残なのです。
05大人が読み直すと、宿題の見え方が変わる
こうして並べてみると、夏休みの宿題は、性格の違う二つの流れでできていることが見えてきます。ひとつは、明治から続く「忘れないための練習」=ドリルや日記。もうひとつは、戦後生まれの「自分で決めて掘り下げる」=自由研究です。
大人になってから振り返ると、後者の意味が少し変わって見えるかもしれません。テーマを自分で選び、締め切りまでに形にする。これは、仕事の企画も、暮らしの学び直しも、根っこは同じです。
今年の夏、子どもの自由研究につきあう人も、自分のために何かひとつ調べてみたい人も。「自由に研究していい時間」というのは、案外ぜいたくなものだったのだ、と思い出してみるのもいいかもしれません。
本記事は夏休みと宿題の成り立ちに関する一般的な解説を目的としたものです。記載内容は国立国会図書館のレファレンス情報や学習指導要領に関する資料などをもとにした整理で、年代や経緯には諸説があります。
出典
新しいクイズやコラムは、X と Threads でもお知らせしています。
